ホーム » ブラジル史 » ブラジルに複数あるズンビ・ドス・パルマーレスの銅像。彼は一体何者??

ブラジルの内陸に位置する首都ブラジリア。建築家オスカーニーマイヤーが手がけた独特な国会議事堂の近くに噴水広場がある。地図を見ると広場の名前は「Praça Zumbi dos Palmares =ズンビ・ドス・パルマーレス広場」。広場は至って普通の広場ですが、上半身だけの銅像が目に飛び込んでくる。近くによってよく見てみると、銅像のタイトルには「ズンビ・ドス・パルマーレス」と書いてあります。

Zumbi Dos Palmaresの銅像 (ブラジリア) 画像元:Elza Fiúza/ABr, CC BY 3.0 BR, via Wikimedia Commons

実は、この人物がいるのは、ブラジリアだけではありません。

リオデジャネイロ。2016年の夏のオリンピック大会の舞台といえば、ほとんどの人がわかるでしょうか。ここ、リオデジャネイロのPresidente Vargas Avenue という通りを通っていると急に現れる大きな頭。こちらも近寄って見てみると、書いてある名前は「ズンビ・ドス・パルマーレス」。

バイーア州サルヴァドール。ブラジル最初の首都です。ここはアフリカ系の人々が多く住んでいて、音楽や格闘技など、アフリカ各地の影響を受けた文化が色濃い。この街では彼「ズンビ・ドス・パルマーレス」の全身像が見る事ができる。

このように、ブラジルの各地で彼「ズンビ・ドス・パルマーレス」に出くわす。しかも銅像だけで終わらず、空港の名前であったり、学校の名前に彼の名前が使われていたりする。

どうやら、ズンビはスーパー有名人らしいね。

一体、彼は誰で何をした人なんだろうか・・・

そんな疑問を持った人達に、歴史に名を残した「英雄ズンビ」の話をするよ。

ズンビ・ドス・パルマーレスって何した人なの?

ズンビ・ドス・パルマーレスのイメージイラスト
zumbi イメージイラスト (画像元:AdobeStock)

この銅像の人物「ズンビ」は、今からおよそ500年程前のブラジル植民地時代に活躍した人です。黒人奴隷制に抵抗し、奴隷廃止の為に戦った人としてブラジル黒人社会の英雄的な存在です。ブラジルでは、11月20日は、「黒人意識の日」として祝日になっている自治体も多いですが、この日こそ、ズンビの命日なんです。

奴隷制は先住民から黒人が主力に

1560年頃のブラジル植民地時代、ブラジルの経済は砂糖生産に支えられていました。砂糖生産は、栽培から刈り取り、運搬、製糖作業に至るまで、たくさんの労働力が必要になります。

当時は先住民を主な労働力として働かせていました。しかし、キリスト教を広めようと、ヨーロッパから海を渡ってきたイエズス会士達は、先住民にキリスト教を伝え、彼らを保護しました。

このとき、ブラジルを植民地としていたのはポルトガルです。ポルトガル国王は、15世紀後半、ローマ教皇から、海外進出と新発見地を領地として持つことを認めてもらう見返りに、海外での布教と教会の保護を義務付けられていました。ですが同時に、生産される砂糖の収益の税が国王の収入となっていたので、収益をあげる必要があったんです。

この相違するジレンマを解決する為、1570年に「インディオ奴隷禁止令」が出されます。

(とは言っても、白人に抵抗しないという条件付きであり、抵抗する先住民は捕獲して奴隷にできたので、無理矢理な言い分をつけて奴隷にしていたようですが・・・。)

この禁止令の後、農園主達は、労働力を先住民から黒人へと移していきます。実際、黒人奴隷の生産能力は先住民よりも上回っていたそうで、感染病の免疫もあったことも、背景にあるのでしょう。

キロンボが結成される

黒人奴隷は、農作業や製糖作業で過酷な労働を強いられました。

サトウキビの収穫期には、特に忙しく、24時間稼動。その為に、集中力を失い、ひき臼に手を引き込まれるなど、事故を起こす者も絶えなかった。

奴隷達は個人や集団含め、逃亡や攻撃、自殺などで激しく抵抗します。逃亡で捕えられた奴隷は、公の場で激しく処罰され、見せしめにされました。 しかし、中には逃亡に成功する者もいて、周辺の森林に集落を作り、アフリカ生活を再現しようと集団生活を始めます。この集団生活の総称が「キロンボ」です。

ブラジル各地でキロンボは見られて、その規模は5、6人から数千人までさまざまだったんだ。その中でも最大規模だったキロンボが、現在のアラゴアス州のバリーガ山脈に形成されたガンガ・ズンバ率いるキロンボだった。

ズンバ?・・・ズンビじゃないの?

ズンビはこの後でてくるよ。

発展したパルマーレス・キロンボ

この巨大なキロンボはパルマーレス・キロンボと呼ばれています。パルマーレスでは、黒人だけでなく、宗教的な理由や裁判から逃れた白人や混血、先住民もいて、人口を増やし発展していきました。

こうなると、奴隷制を掲げる白人入植者達にとって、自由の象徴となったキロンボは大きな脅威になっていきます。白人入植者達とパルマーレスは、やがて対戦するようになるが、この白人の攻撃に指揮者であったガンガ・ズンバは耐え、「休戦協定」を締結させました。

休戦協定を締結させられるほど、大きな勢力だったんだね。

パルマーレス最後の指導者がズンビ

zumbi イメージイラスト
zumbi イメージイラスト (画像元:AdobeStock)

ガンガ・ズンバの甥のズンビ・ドス・パルマーレスは、この協定に不満をもち、再び対決姿勢を表します。1692年から再び白人と対決する事になり、戦いは3年間に及びました。

長い対戦も虚しく、ズンビは仲間の裏切りによって捕えられ、1695年の11月20日、ズンビ率いるキロンボは全滅してしまいます。

こうして、黒人は白人の作った植民地社会に奴隷として組み込まれました。教会にも容認されており、実際に修道会も奴隷を所有していました。1988年の奴隷制廃止まで、黒人は白人社会で「生きた道具」として扱われ、各地でキロンボは生れ続けました。キロンボの住民はやがて「キロンボーラ」と呼ばれるようになり、現在でもブラジルのアマゾン各地で数多く生活しています。

歴史を知ってから、改めてズンビ像を見ると、見方が変わってくるね。

自分の生まれた故郷から引き離され、労働を強いられ、拷問され、人生が終わっていく。そんな中でこのパルマーレスの存在がどれだけ奴隷の人達に希望を与えたか、想像を絶するものがあるよね。

時を経ても、ズンビは最後のパルマーレスの指導者として英雄となり、忘れ去られる事なく人々から語り継がれているんだね。

キロンボのメモリアルパークでブラジルの歴史を感じる事ができる

ブラジルのアラゴアス州にはキロンボ・ドス・パルマーレスのメモリアルパークがあります。歴史が失われないようにキロンボの重要な建物の再建がされて、2007年に記念公園として設立されたそうです。黒人文化に触れる事ができ、自然に囲まれた絶景を楽しむ事ができますよ〜。

ブラジル、アラゴアス州に行く事があれば、是非立ち寄ってみては??

歴史やアフリカ系文化が大好きな人にはたまらないね!私も是非行ってみたい!

ブラジルの歴史をさらっと書いてる ブラジルの歴史:3分でわかる!ブラジル発見から帝政崩壊までのまとめ の記事もチェックしてみて下さい〜。

〈参考文献〉